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2006年の日記

3月31日の日記 年度最終日・臨時議会召集

 例年、国の法律改正に伴い年度の最終日にあたる3月31日には臨時議会が召集されることが多い。今回、地方税法の改正に伴い新宿区も条例改正を行うこととなり、午前中全員協議会、午後から本会議、総務区民委員会、本会議再開とめまぐるしく日程が消化されていきました。今回の改正で新宿区内で影響を受ける人は25名で金額としては7万5千円の増税だったそうです。
 議会開催による経費のほうが大きいのではという方もいらっしゃるかもしれませんが、例え対象者が0人でも法律改正に沿って変えなければ後で問題が生じる可能性がないわけではないので開かざるを得ない会議でした。
 ところで、本日を以って退職する職員の方も多くいたようです。お互いに顔を見知っている人はそのうちの一部に過ぎないのですが、毎年寂しさを感じながらこの日を迎えます。一つの職場で一つの仕事に取り組むということは大変なことだなと感じる今日この頃です。自分が仕事を辞める時をどのような心境で迎えられるか考えるとちょっと恐ろしい気もします。途中で失職することもありえますし・・・


3月20日の日記 東京都司法書士会新宿支部創立50周年式典

 今日は災害対策等特別委員会が開催されました。この委員会が終わると今定例会も山場を越えます。通常、災害の対策に係わる委員会なのでよほどのことがない限り長引きはしない委員会なのですが、今回は「国民保護法」に基づいた「新宿区国民保護条例」や「国民保護協議会条例」などいわゆる有事法制に係わる条例案が付託されていたため長引きました。
 私は、国民保護法に反対する人たちの本や意見はよく目にするのですが、制定しなくてはいけないという立場の本を未だ目にしていませんでしたので書店に探しに行ってきました。とりあえず見つかった2冊の本をもとに予習し、委員会に臨みました。
 反対する人の論点は
(1)国民に戦時に協力をする義務付ける戦争動員条例である
(2)起こりえない有事に備えるのではなく国際平和を実現する活動をするべき
私の考えは(石破長官の受け売り?)
(1)有事に国民を守るのは国の責務であり、区が区民を守ることは責務である
(2)国家公務員だけに避難誘導を実行させるは現実離れした発想である
(3)平和外交を推進するのは当たり前、テロリズムに外交は通じない、
(4)最悪事態に備えることは、国家や自治体としてのあるべき姿である
 夜は日頃から親交のある司法書士会の創立式典がありました。半世紀というと気の遠くなるような時間が経過していますが、50年の間には様々な法律改正が行われ、司法書士の業務も多角化してきたようです。同僚議員としては自民党の野口史章幹事長、秋田博議員、新宿無所属クラブの榎秀隆議員、小畑通夫議長と気心の知れた人たちとご一緒させていただきました。
 私が、この団体とお付き合いが始まったのは前の勤め先である与謝野馨事務所の出身であるということで、推薦する予定があるので面接に来てほしいというところから始まりました。正直にいえば、司法書士の方と面と向かってお話しするのは初めてでしたので予め予習をしてから臨んだものでしたが、一昨年に父親がなくなった際には登記のことで、現在係わっているマンション建設の際には土地の権利関係についていろいろご指導をいただきました。
 司法における活躍の場も拡大されていますので今後とも身近な法律相談の窓口として反映していただきたいと思っています。


3月18日の日記 妻方の菩提寺へお墓参り

 先日、お彼岸の時期にいけそうもない状況が予想されたので自分の家のほうは一足早く墓参りに行ってまいりました。今日は結婚をして以来いまだ妻のほうの墓に参っていなかったので妻と義母とともにおまいりに行ってまいりました。場所は下高井戸の駅の近くで、お寺が何件も並んでいる地域でした。戦前は築地のほうにあったようで、道路の拡幅で下高井戸まで移動してきたとのことでした。
 帰り際、たまにはよその地域に来たのだからということで散策をしていたのですが10年近く前に商店街視察のお供でお邪魔したことがあったことを思い出しました。私の前任者である新井康文先生が現役の当時、「黒潮市場」という大型スーパーが酒の販売まで始めるという情報が入ったため、すでに下高井戸で営業していて地元商店街が善戦しているとの情報を得て現地で話を聞いてみようということで一緒にうかがったのでした。
 当時立ち寄ったお店も残っていましたが、強烈なインパクトのある看板がありましたので写真を撮ってきました。見かけのこともそうですが、取り組みとしてもスタンプラリーを行っていたり、商店街のスペースがあったりと柏木や大久保の雰囲気とはまた違った商店街振興をしているなと感じました。新宿の議員だから新宿だけ見ていればいいというものではないと改めて考えさせられたミニ視察となりました。(さすがにお墓参りのついでなので調査費は使っていません。念のため)


3月16日の日記 総務区民委員会・陳情審査

 今回の総務区民委員会には多くの陳情が付託されていましたが、ある意味では3年間の中で一番緊張しながら審査に臨んだものの一つであったかもしれません。内容は一言でいうと「政務調査費の管理のしかたについて」というものです。ここ数年他の自治体の議会で政務調査費の不正使用による還付命令が行われました。そして、今年2月に住民監査請求を受けて一部不適切な支出がなされたことと間違った請求があったということが判明しました。
 今回、自由民主党新宿区議会議員団は監査請求の対象になりませんでしたが会計を預かる人が注意深く不適切な支出がないかチェックをすることを今後も続けなければ明日は我が身となるかもしれません。また、従来許されていたことも時代の要請にあわせて自ら変えていくことが必要だと思っています。
 かつて、地方議員になる人は資産家であったり、事業家であったりで自分自身の生活の基盤があるうえで議員の職務を果たしていました。議会活動にかかる経費も、政治活動にかかる経費も、後援会活動にかかる経費も、自分や家族の生活費を気にしないで出来る人が多くいました。近年、地方分権が叫ばれ自治体が担う事務事業は増加し、新しい時代の要請を受けてさまざまな分野に係わる仕事も増えてきました。議員が審査する内容もより専門化し、幅広い知識を付けることも求められています。誰もがインターネットやマスコミによって情報を容易に大量に手にいれることが出来るようになった時代に議員という職業が専門職としての位置づけになってきたような気がします。また、新宿区の場合住民の1割が外国籍住民であり、その国数は100を超えるという特殊な地域です。視察をはじめ資料収集を含めた様々な経験や知識が必要な自治体です。その経費を議員報酬のみでは賄えないであろうということから政務調査費という制度が設立されたのだと理解しています。私としては、会派のメンバーとよく相談をしながらこの活動にこれだけの金額を使うことは正しいことであるかどうかを相談しながら有意義に活用させていただこうと思っています。
 今回の陳情の中には、政務調査費の報告書をチェックする第三者機関を設置せよというものもありました。その趣旨は理解できましたが、そのための人件費とその人たちをどのような立場の人から選ぶのかということも議論になると判断しました。新宿区議会は第三者機関に任せなくてはならないような怪しげな集団ではありませんので、今回のことも議会全体として真摯に受け止めより多くの住民に理解を得られる政務調査費の運用に取り組む姿勢が条例改正の中身や、区議会ホームページの「お知らせ」コーナー中に掲載されている議長のコメントにも現れていると思います。


3月10日の日記 町内防犯・防災パトロール

 昨年来、子どもを狙った凶悪事件や不審者の情報が頻繁に入ってきます。新宿区が出張所ごとに区内で発生した不審者情報をメールで配信するサービスを行っていますが、立て続けに届くので町会長の肝煎りで町会でパトロール体制を強化しようということになりました。
 防犯部と防災部は構成人員も類似しているので防犯部長と協力をしてシフト表をつくり、関係者に依頼をし、シフト表を配りました。月に3回のペースですので実行はかなり難しいものとなります。私自身は、商店主ではないので昼間のパトロールは極力出動します。(正式な会議がない限りは自分で予定を作れるため)人に物を頼む以上はまず自分からというのはどこの世界も一緒なので7月一杯のシフト迄殆んど入っています。
 あいにく初日となった今日は雨降りで傘をさしながらのパトロールとなりました。警察署からも応援が来ていましたので20人を超える大集団でのパトロールになりました。とにかく、自分自身が三日坊主にならないよう全力を尽くします。


3月6日の日記 国会見学

 地元の商店街の若手で二世会という団体があります。創立40周年とのことで何か思い出になることをということで小学校の社会科見学以来の国会議事堂に行ってきました。当初、「せっかく地元選出の与謝野馨代議士が大臣なんだから大臣室に商店街が抱える課題を伝えたり、行事の案内状を手渡そう」と考えていたのですが、メール問題やら何やらで日程がつかめず本人に会うことは断念しました。
 ところが、国会の敷地の中で時間調整をしていたら午前中の予算委員会が終わって出てきた与謝野大臣にばったり出会い一人ひとり握手をし、記念撮影をしてもらうことが出来ました。前日の夕方に本人に面会するのは難しくなったという連絡が入ったときは残念そうな雰囲気になりましたが、運良く面会することが出来たので参加者も喜んでいました。


2月27日 本会議で今年初めての質問
 先週21日から平成18年第一回区議会定例会が開会されました。初日は区長の施政方針演説があり、2日間空けて各会派の代表質問、一般質問が行われます。今回の自民党の代表質問は桑原公平議員で高校・大学と先輩にあたる方です。
 私は、いつも5分間で一般質問をしていたのですが今回はじっくり話したいことがありましたので10分間いただきました。しかし、直前まで現行を精査し、縮めなくてはオーバーしてしまうので練習しながら1分おきに大体の目安で印をつけながら、ストップウォッチをペースメーカーにして演壇に立ちました。
 終わったときは、自分の時計で9分48秒、前回は操作ミスで計測不能、前々回は5分の制限時間で5分丁度という形で毎回綱渡りなことをしています。
 内容については、議会質問のページに掲載しますので概略だけ書きますが、「北新宿3丁目プロジェクト」というマンション計画の問題点について質問をさせていただきました。詳細は特別コーナーに掲載しますので割愛しますが、住民の会の人がブログを立ち上げていますのでそちらを見ていただくと時系列で何が起こっていたのかがわかります。


2月19日の日記 自民党23区議会連絡協議会研修会にて

毎年恒例の党の23区区議会連絡協議会主催の研修会に行ってきました。昨年は、師匠の与謝野馨政調会長(当時)の講演を聴きにいきましたが、今年は小池百合子環境大臣と石破茂前防衛庁長官の講演でした。第一部の小池大臣はさすがに元キャスターということもあって立て板に水という感じの話しっぷりでした。言わんとすることは「『クールビズ』はある程度成功したが、国会においても本会議場ではまだまだだということや冷房より暖房のほうが熱量を消費するので『ウォームビズ』のほうが重要である。夏のようにネクタイをはずすという象徴的なものが冬の場合見つけにくいのがネックになっている」ということでした。
続いての石破前長官はというと余りの説得力に驚きました。以前テレビの中でインタヴューを浮けている時のゆっくりとした話し方が印象にあったので実物とのギャップには本当に驚きました。そういえば、前回の参議院選挙の出陣式で山谷えり子さんの激励に細田官房長官が来ていましたが、遅刻して会場入りした時にやけに気合の入った話をしている人がいるなと思っていたら細田長官だったことがあり驚いたことがありました。役職についている時には、やはり本音や言いたいことをはっきりと言えないために普段と違うしゃべり方になるのだなと再認識しました。
さて、その石破長官の講演の中身ですがいくつか象徴的なものを箇条書きしてみます。
(1)自分は防衛庁創立48年目で65代目の長官であった。長官が半年ぐらいで代わって喜ぶのは二つの人種である。一つは大臣になれた政治家、二つ目は役人である。
(2)日本の官僚は前例と法律を扱わせたら世界に類を見ない優秀さを持っている。前例を守り、法律を守らなければ組織は成り立たない。しかし、非常事態は対応に苦労する。
(3)日本人は宗教と領土に鈍感である。戦争や武力衝突の原因は政治体制の対立・宗教同士の対立・民族間の対立・貧富の差による対立がある。
(4)アジアにはイスラム教国や貧富の差が大きい国々がある。日本と東ティモールの差は約100倍である。
(5)テロが増えている。テロリストに国連の抑えは利かない。死ぬことによって幸せになれる人々に対する抑止力はない。
(6)自衛隊は法律に厳格な組織である。戦車はナンバープレートを付け赤信号で止まり、野戦病院を設置するには厚生労働省の許認可を得る必要があった。有事が発生した場合にそのようなことを言っている場合ではないが憲法と法律で定められている以上、そこで国民が生命の危険にさらされていても行動を起こすことは許されていなかった。
(7)スイスが平和であったのは「平和ボケ」にならなかったからである。戦争に巻き込まれないような備えをしてきたからである。
(8)イラクに派遣された自衛隊は人道復興支援をしているので感謝されている。今イラクで好きな国を訊ねると日本の名前が挙がる。
他にも興味深い話がたくさんあったのですが、きりがないのでこのくらいにします。取り急ぎ、石破前長官の本を書店で買ってみようと思います。


2月18日の日記 いよいよのぼり旗が・・・

 午後から、近隣の住民の人たちのお手伝いでのぼり旗をつけて回りました。説明会に参加したことがない人の家にものぼり旗のお願いに行ったのですが、快く付けさせてくださいました。旗を付けさせてもらっているのにお礼を言われたりカンパの申し出を受けたりと想像以上に近隣の人たちは今回の建築計画に不安を感じているのがわかりました。
 後、今まで何の付き合いもなかったはずの人々がニコニコしながら世間話を始める姿を見ているとマンション紛争という非常事態が近所の絆を強くしたという不思議な副産物を発見しました。昨日の3丁目町会の役員会では町会としても積極的に近隣住民グループへ協力をすることになったようで説明会の日程が掲示板や回覧板で回されることになったようです。



2月13日の日記 浜岡から帰ってきました

 昨日の午後から、1泊2日の日程で浜岡にある中部電力の原子力発電所を視察に行ってまいりました。掛川で一泊して、朝一番で浜岡へ移動し、午後の新幹線で帰京するという駆け足の視察でした。以前は、安全性をアピールするという目的でかなり見学者を受け入れていたようですが、9.11テロ以来厳重な警備が敷かれ、間近までは入ることが出来ませんでした。
 とはいえ、2時間半にわたって視察と研修と質疑応答やシミュレーション体験等と盛りだくさんのコースを消化するのに時間がかかり、帰りの電車を気にしながら施設内の移動はせかせかと歩いていました。説明によれば大変地震に気を使った造りにはなっているようで、コンピューター制御室のシミュレーション体験では震度5強時の操作訓練をさせていただきました。(地震が来たと思って操作をする訓練)


2月12日の日記 国士?ううむ・・・誰が?

 昨日は、(仮称)北新宿3丁目プロジェクトの第3回説明会が開催されました。今回は特に委任状をもらっていなかったので特に発言はせずに、会場の運営を気にしながら参加していました。このまま、原則論を中心にした議論を続けていると業者が強引に着工した場合の交渉のチャンネルがなくなってしまうかなという気もしますが、相手がまったく譲る気がないなら住民側としても徹底抗戦で行くしかないのかなという気がしてきました。
 何せ相手はプロですから、こちらが弱いと見れば譲る必要はないと考えて少しでも多くの収益を上げることを考えるのが仕事です。
 それにしても、あの人たちも建築やまちづくりを学んでいた時代はまち並みだとか環境だとかを考えたり、論じ合っていたのかなと思ったりもするのですが、社会に出ると生活がかかってくるので収益を上げることが価値観になってくるのかなと思います。時間がなかったからでしょうが、もう少し夢のある計画にならなかったものかなと考えております。近所のホテル海洋の場合は近隣の多くの人が利用する施設で雨が降っているときに雨宿りに入ったら傘を貸してくれたり、友人のお祝いでラウンジに集まったり、愛着の湧く施設でした。「近隣には高層建築のホテル海洋さんがありますから・・・」という説明はなかなか理解は得られないと思います。
P.S 建設予定地周辺に「国士」なる署名の張り紙が大量に張られていました。まさか本物の右翼が出てくることはないと思うが・・・?




1月の日記 いよいよ新年会シーズンに突入しました。

 長い忘年会のシーズンが終わると正月を挟んで新年会シーズンが始まります。今年は、5日の区の賀詞交歓会からスタートで初日からピークを迎えてしまいました。それぞれの会が時間差があって開かれていたもので、それぞれの合間に二次会に参加したり、最後の会が終わった後には知り合いの店に紹介していただいたりで十数か所回った計算になります
 今年は、元旦が日曜日であったため第2日曜日が8日になってしまい恒例の初詣会の準備も間に合わせるのが大変な状況でした。とはいえ、当日は晴れ渡り、暖かい一日で大変助かりました。今年は筑波山神社に参拝し、6時過ぎに帰京することが出来ました。
 翌日は新宿区新成人を祝う会が催され同僚議員とともにお祝いに駆けつけました。新宿区ではテレビで放映されているような乱暴沙汰の成人はいませんでした。14日には消防団の始式が行われ、当日のプログラムを見たら知らない間に班長に昇格していました。今後も身を引き締めて防災活動に勤しめるよう健康管理もしっかりとしなくてはならないと感じました。
 ここで、話題が変わりますが先月来大きな地域課題が二つ発生しています。一つは西戸山中学校と西戸山第二中学校との統廃合のプロセスの問題、もう一つは旧黒潮市場跡地に計画されている高層マンションの計画の問題です。どちらの問題も当事者が今後どのような動きをするのかよくお聞きしながら側面から支援をしていかなくてはならないと考えています。
 統廃合の問題については、教育委員会の計画決定時期と現場の学校選択の時期のズレから問題が生じてしまいました。私の立場で出来ることは意見がまとまらないときに区側に歩み寄りを求めることぐらいしかありませんが、先送りではなく今起きている課題を解消することが先決だろうと考えています。
 マンションの計画については、発言しない人も含めて近隣全体でどのような意見を持っているのかとその意見が第3者から見て理解を得られる話かどうかを見極めながら協力していかなくてはならないと考えています。
 全ての要求が通ることはなくても将来的にここだけは譲ってはいけない点は何かを見つけ出さなくてはならないと思います。位置関係によって受ける影響も変わってきますが、細かい設備面も含めて検討し、意見をぶつけていくお手伝いをさせていただきたいと思います。



12月の日記 草津に行ってきました

 実家のある町会(大久保2丁目町会)の旅行会に参加してきました。日頃、現在の住居のある北新宿での活動が中心になっているので久々のことでした。草津は今回で2回目ですが、前回は入っただけで汗が吹き出てくるお湯に驚いたのですが、今回も期待通りのお湯で満喫してきました。
 旅館を出ると湯畑があり、湯気が出ているので写真を撮ってきました。あまり肩のこらない旅行会なのでのんびり出来ました。



11月の日記 難病、行腹膜平滑筋肉腫

 先日、一通の手紙が届きました。差出人は戸山中学校昭和63年卒業生有志一同で、同期の女性が表題の難病にかかって闘病しているとのことでした。春の同窓会では元気そうにしていたのにその1ヵ月後に発病し手術や投薬治療を続けているとのことでした。10万人に2人ほどの発症率の病気ということで研究費も回ってこないようで治療法の糸口が見つかったまま治験に至らず患者が治療を受けることが出来ないそうです。同期として出来ることは厚生労働省に提出する署名運動と研究費へのカンパということで腕輪を買って周知と寄付を募ることになりとりあえず購入し、署名集めをしました。
キュアサルコーマという患者団体のサイトはhttp://www.curesarcoma.jpです。ご興味のある方はのぞいてみてください。


10月28日 総務区民委員会地方都市視察

 26日から二泊三日で盛岡市と函館市に視察に行ってきました。人口規模はいづれも30万人都市で新宿区と変わりないのですが、面積は当然先方の方が大きなものです。抱える課題は似たものと異なるものもありますが、新宿区で現在検討中の循環バスが盛岡市内では観光と生活のルートで3路線が運行され黒字であるということを聞いて参りました。
 詳細な報告は後日本サイトの活動記録に掲載させていただきますが日記には大雑把に感じたことだけ書いておこうと思います。
 函館市では、公契約条例について勉強しようとなっていたのですが当日の担当職員の方の説明にはある種の感動を覚えました。時折混じる方言がいい意味で真剣に自分でやってきたことと感じていることを説明してくれているんだなと感じさせられました。
 函館市の公契約に関わる取り組みについては函館市は先進的であるとして、よく研究所やマスコミに載ることが多いようですが、現場のご本人は多くの問い合わせがあることに違和感を感じているというのがよくわかりました。「自分たちで出来ることを精一杯やっているだけでそんなにすごいことをやっているつもりなんか無いんだ」というのがよくわかりました。
 公契約(条例)問題というのは、公共工事に関わる下請け企業の人件費が不当に低くならないように条例で公共工事の労賃を規定し、違反社を取り締まっていこうということを条例化しようというものです。区議会の陳情にも出ていて、継続審査になっていますが元請けと下請けの民民の契約や、技術レベルや職歴レベルの違いを規定していく方法が確立されていない現状では法律化も条例化も困難であるというのが今の判断になっています。
 函館での要綱に基づいた市役所の取り組みは全国的にも有名になり、取材も殺到しているとのことでしたが、キョトンとした感じで真っ正面から答えている職員の方の姿に感動を覚えました。


10月22日 防災活動シーズン

 今朝は、6時から消防団の早朝出動訓練がありました。地震が6時に発生したことを想定しての訓練になっており、6時になったら行動を開始して詰め所に出動して来るという訓練をします。輪番でポンプを水利がある場所に運び、ポンプ同士を連結して長い距離の給水や排水の訓練を行う年もあります。
 その後、娘の保育園の運動会で久々に家族が勢揃いし、午後は柏木地域センターでの区長と話そう〜新宿トーク〜「減災社会と地域の防犯ネットワーク」に出席しました。様々な意見が出ましたが、私は今回の会議に出席をして中身と言うよりは防災用語の使い方について感ずるところがありましたので次回の定例会ではその点に触れてみようと思っています。
 帰宅すると、夕方からは明日行われる商店街のちびっ子まつりの舞台作りやテント作りが始まりました。明日は、北四商友会のちびっ子まつりと西戸山団地祭、きたさんまつりと三つのイベントが同時開催されます。来週30日は市場祭りで和太鼓淀橋の出演があり、私も下打ちで一曲だけ出演します。その後、柏木小学校で行われる防災訓練に消防団員として出動し、午後からは百人町3丁目町会創立40周年行事に出席します。


10月18日 福祉相談は我慢と辛抱

 7月後半以来未解決の福祉相談が続いています。単身で障害を持ちながらも年金を投入し商売をしていた高齢者が取り壊しによる自宅の立ち退きを求められているというケースです。調べれば調べるほど深刻な状況が出てきてもう少し時間がかかりそうな気がします。この件に限らず、相談者の尊厳がありますので周囲の常識や役所の常識では割り切れない部分が次々に出てきます。一つの段階を進むごとに、後戻りしたり、悩んだり長い人生を思い出しながら判断をしていく以上やむを得ないのかもしれません。
 かつて、右肩上がりで景気がよくなっていた時代にはよほど変な商売をしない限りは心配がいらなかったのでしょうが、今のご時世では余程の売りが無くてはチェーン店などには太刀打ちできません。自然と福祉の相談者も増えてくることとなるのですが新宿区の財政負担で引き受けられる人数は限られているのではないかと思います。
 一番のネックは家賃と住宅環境かなと少ない経験からも感じています。住んでいた町に住み続けたいという気持ちや、本人のこだわり、健康状態とのマッチングなど住宅環境による制約もあります。それらをそろえると家賃も上がっていきます。
 親切に相談に乗ってくれる不動産屋さんを見つけても本人のこだわりによって破談になる話もあります。私としては、相談者からいろいろ聞き出した以上、最後まで相談に乗る覚悟でやらないといけないと考えています。人の生活がかかっている以上、いい加減な結果は出せないなと思っているきょうこの頃です。


10月11日 今年も締めくくり質疑をさせていただきました

 先週金曜日に、会議時間を延長して3つの特別会計の質疑まで終了し締めくくりで質疑できる場所が確定しました。別に同じことを聞いていけないわけではありませんが、限りある時間を有効に使うためには同じ質問と答弁で無駄な時間を費やすわけにはいかないので自分で質疑したいと考えている部分から他の委員の触れている部分を除いて質疑をすることになります。
 先週末は、敬老会や街頭演説、大久保祭り(焼きそば係)、百人町祭り、消防団のレクリエーションと予定が詰まっており、当日朝まで準備に追われてしまいました。時間の割り当てを1時間欲しいと言ったはいいものの自分の原稿は1時間に達しているのか?答弁がやたら簡潔だったら時間前に終わってしまうのだろうかなどと緊張しながら順番を迎えました。結果は、かなり時間が足りなくなりそうになり質疑を省略しながら何とか乗り切りました。実際には2分くらいオーバーしたのではないかと思うのですが、他の委員さんたちの温かいご配慮か止められることもなく終了しました。
 質疑のテーマはいくつかあり、アクション04事業(各部の自主的な企画を予算化したもの)への事後評価、災害発生時の情報収集体制や職員の安全確保、百人町3丁目地域の開発の進行状況と福祉施設の周辺との調和策、図書館の9館体制維持、財政調整基金や競馬事務組合分担金、予備費についてなどについて触れて参りました。
 昨年は、1時間分の原稿を準備をしながら、当日の理事会で時間配分の折り合いがつかず当時の委員長会派として自民党が事態収拾のために30分に減らしたため予定していた原稿を半分に縮め、さらに答弁を短めにお願いしますなどと言いながら早口でしゃべり続けるという事態を経験しました。
 議会改革を進める小委員会という会議の議事録が新宿区議会ホームページの中にありますが、時間制導入についてという項目でしつこいぐらいに私が粘っているのはそのことも念頭にあります。全員選挙で選ばれ、住民の声を代弁するためにきているのですから発言時間ぐらいは平等にとってもらいたいものだと思います。


10月2日 綱渡りの日程、これもまた肥やし

 7月の最終週から11月にかけての週末は地域行事の目白押しとなります。参加の仕方としては三通りあり、最も多いのは来賓(賓というほどの者ではないのですが)としての参加、一般客としての参加、お付き合いで運営の参加となります。地方議員の身としてはなるべく多くの場所に顔を出して顔を覚えてもらったり、地域の情報を収集したり、親しくなったりすることが活動に幅を持たせていくために重要になります。
 今日の場合は、立正佼成会の「お会式」の観覧に杉並区に行き渉外担当の方の解説をお聞きしたり、昨今の政治に対する感想のようなお話を聞かせてもらいした。その後、急いで新宿に戻り、ロマンスカーで箱根湯本へ向かいました。かつて、よしけん事務所を開設させていただいていた商店街の旅行会に参加するためです。当初日程的に難しいと伝えてはあったのですが、人数が少ないと旅館の宿泊単価が上がるようで日帰りでいいからとのお話で遅れて向かうこととなりました。車中、決算特別委員会の締めくくり質疑の準備をしながら向かいました。今回のテーマは、災害発生時の情報収集と情報伝達について少し聞こうと思っています。
 そうこうしているうちに、箱根に着きましたので駅から歩きながらホテルを探し宴会前にたどり着くことが出来ました。他のメンバーは温泉に入り、入浴後のビールをやっていました。程なく宴会が始まり、電車の時間を気にしながら、記念撮影に収まり、一人帰京しました。滞在時間2時間半、移動の方が長い旅行となりました。
 でも、ロマンスカーの中で一人っきりでウイスキーのミニチュアボトルをちびちび飲むのは何とも言えない至福の時です。