12月31日の日記

 「光陰矢のごとし」と言いますが、まさにあっという間の一年間でした。元旦からご挨拶回りをし、新年会回りをしているうちに長女が誕生し、区議会議員選挙が行われ、初議会、初質問、初めての消防団ポンプ操法大会、初めての代表質問、衆議員選挙、今年最後の定例会、忘年会、歳末パトロールと年間行事の波に揉まれながら気が着けばもう大晦日となってしまいました。
 今年一年を振り返ると反省することばかりで、来年への闘志だけは湧いてきます。当選後の一年目ということもあり、恐らく議会の先輩方も生意気なことを申し上げたり、気が付かずに失敗していたりしていたことを私自身が気付かないうちに助けていて下さったのではと思います。
 ホームページの更新は、原稿の遅筆から遅れがちで製作者の方や支持者のみなさんもヤキモキしていたのではと思います。来年の目標としては、週一回のページ更新とサイト内のコーナーの充実を図りたいと思います。
 また、当然ながら議会活動・政治活動には最大限の力を注いでいきたいと思っています。
 今日は、午前中は挨拶回りをし、午後からは町の辻々で区政報告をして回り、午後五時から六時の間に小滝橋のスーパーいなげや前で今年最後の区政報告を行おうと思っております。
 来年以降も健康一番、元気一杯に働かせていただきますのでどうかよろしくお願い申し上げます。一年間本当にお世話になりました。



12月23日の日記

今日は、天皇誕生日ということで年内最後の祝日でした。午前中は、友人との約束でボーイスカウトの百人町地区のもちつきに行ってまいりました。少子化が進む中で、ボーイスカウトの世界でも新入団生を探すのは大変だという様子をお聞きしました。
夜、何気なくテレビをつけますと「浅間山荘事件」のドラマを放映していました。ドラマですので登場人物の人間模様を描写していましたが、時節柄考えさせられる考えなくてはならないことを思い起こしました。人質を伴った立てこもり犯に対して警官隊は実弾を発射してはならないという場面で負傷者や、殉職者が発生し、最終的に本部の指示を仰いで拳銃を発射するという場面です。現場にいた人や実務を担っている人でなくては分らないことなのだろうと思いますが、その場面でも狙撃銃による犯人攻撃ではなく、拳銃による威嚇的な発砲に限定されているような表現でした。
今回の自衛隊のイラク派遣に限らず、自衛隊が海外に行くということになると必ず護身のための武器の携帯は構わないのか?銃口や、手榴弾などの殺傷兵器を向けられたときにどの時点で、何処まで対応してよいのか?そもそも自衛隊が日本国外に行く必要があるのか?と多くの点で論争が繰り広げられます。
喉もと過ぎると活発な議論がなされなくなってしまいますので、今回の機をとらえてきちんとした論点の整理と方向付けを次に何かが起こったときのためにしてもらいたいものだと思っております。


12月17日の日記

 自衛隊の市谷駐屯地へ行ってまいりました。今年の選挙で当選させていただいた後に市ヶ谷自衛隊友の会の相談役に任命された関係で自衛隊駐屯地でのもちつき大会に出席してまいりました。敷地の中は、防衛庁が移転してくる前と大分変わっていたこともありしばらく迷子になりながら歩いていました。
 折りしも、今日はイラク派遣の基本計画の発表日でもありましたので迎えてくださった職員の皆さんも何となく落ち着かなそうな気がしました。
 私は、戦争を好むものではありませんし、アメリカの機嫌を取ることが目的ならば危険な場所に日本の自衛隊を派遣する必要はないと思います。しかし、今回の派遣は明らかに日本独自の立場で考えても行く必要のある派遣だと思っています。一つには、アル・カーイダによるテロ事件では日本人も被害者が出ていることがあります。また、日本の国防はアメリカを中心としながら諸外国との連携も前提として成り立っています。その様なことを考えると今回の派遣は妥当な決断と思えます。


8月28日分

長期にわたって日記をサボってしまいました。7月8月は地元の行事も多く、フル回転の毎日でした。7月の議会上の仕事は、特別委員会で懸案になっていた本会議における質問時間の時間制導入についての議論で多くの時間を割いてしまいました。最終的に議員一人一人の質問時間を保証することと、会派の大小を問わず基本的な質問時間を保証することを眼目とした案でまとまることが出来ました。

《会派の時間(25分)+(議員数×5分)=総質問時間》

議会のほうは、26日の地方分権・行政改革特別委員会の理事会が開かれ今年度の後半戦がスタートしました。また、8年間新宿区の助役を務めていた橋和雄助役が任期切れ直前に退任する意向を表明しました。9月の定例会の際中の交代では迷惑をかけるとの配慮からの判断だそうです。後任は、現収入役の永木秀人氏が指名されることが濃厚で、収入役には現企画部長の佐田氏が就任するようです。6月の本会議での一般質問の際に「外国人とのトラブルの解消」についての質問に答弁してくださった方で感慨深いものがあります。

尚、本来ですと9月の25日から定例会が開かれる予定でしたが、今回の人事の件で臨時議会を開催することとなりました。9月1日に助役、収入役の後任人事案を審査することとなります。定例会は、予定通り開催となりますが、自民党では若手の登用とのことで最年少の私が代表質問をさせていただくこととなりました。6月の個人質問と異なり、会派全体の意見を述べ、質問することとなりますのでしっかりとした準備が必要となりそうです。


6月23日

今日は、明治神宮崇敬会の総会がありました。各地から大型バスで多くの人が集まっていました。かつては、毎年大晦日の晩に中学時代の仲間とともに歩いて初詣にいっていたものですが、昼間参拝するのは小学校の遠足以来です。
 菖蒲園も見学させていただきましたが、150種類もの菖蒲が栽培されていて、本当に見ごたえのある風景でした。花屋さんの色とりどりの花々とも違う、独特な菖蒲の群生に見とれてまいりました。多少起伏のある場所でしたので、疲れてしまった方もいらっしゃいましたが全員無事帰宅できたようです。


6月20日

19日で第二定例会が終了しました。大きな条例案で、各会派の対応が割れたものは、二件でした。一つは「新宿区監査委員の選任に関する条例案」で論点は、区議会議員選出の監査委員を二人から一人に改め、専門的な知識を持った人に就任してもらうという条例改正案でした。私の所属する自由民主党は、区財政の厳しい折、より専門的な知識や技術をもった公認会計士のような方にも監査の席に入ってもらうことが大切だと判断し賛成を致しました。
 また、二つ目は、「新宿区安心・安全に関する条例案」で意見が分かれました。反対意見としては、災害という名のもとに区民の人権を束縛したり、区民に災害時の対応を手伝ってもらいたいということを条例の中で規定することは行き過ぎであるというものでした。私は、一区民の立場としても、区議会議員としても災害等を迎えた時に各自が無理のない範囲で自助努力をしていくことは大切だと思いますので賛成しました。
 採決の場面では考え方や、立場の違いがはっきりと出るもので興味深く本会議に臨ませていただきました。今後も現実的な判断を追求しつつも理想を忘れないように対応していきたいと思っております。


6月9日

平成15年第二定例議会が始まります。

 区議会の定例会の数え方は、その年に何回目に行われたかによってカウントされます。従って、今年の2月に行われた定例議会は第一定例会、選挙後に行われたすぐの議会は臨時会、今回行われているのは第二定例会と呼ばれます。

 平成15年から、議会改革の一環として一般質問という形式が試験的に導入されました。各会派から一名の代表が質問をしたあとに、同一会派の人が自分の質問をすることが出来るという方式です。以前は、議会開会の初日と二日目の2日間で各会派から一人の人が出て代表質問というかたちで質問を出来ることになっていました。しかし、その形式ですと大きな会派ではなかなか質問する機会も廻ってこないですし、自分自身の一番気になっている問題についてタイムリーに質問できないという難点がありました。

 試行段階ですので本格的に導入されるか判りませんが、私は導入するべきだと考えています。ただ、この形式にも弱点があります。きちんとしたルールを決めておかないとタイムリーな議会運営が出来なくなる恐れも出てきます。議会での発言には、自由が認められていますので極端な場合は時間無制限にズーット同じ話を繰り返して時間を引き延ばすことも出来るからです。それを組織的に行えば、仲間でそれぞれ長時間の質問を繰り返せば、実質的な審議を遅らせ、場合によっては話し合い自体をする時間を無くすことも可能になってくるからです。私はその様な理由から、議会内できちんとした質問時間の配分をしたうえで一般質問を制度化するべきだと考えております。(もちろん、そんな非常識な会派はないでしょうが)

今回、私自身も一般質問の時間をいただき本会議上で質問させていただきました。内容については、政策のページに掲載させていただくように致します。後日アップしますのでご一読していただければ幸いです。委員会でも、必死に勉強しながら発言をさせていただいております。委員会での発言につきましても街頭やこのホームページでも公開していきたいと思っております。

5月28日

 5月6日から本格的にスタートした新宿区議会も22日で一段落しました。議長には、史上初の公明党議長 自民党は副議長のポストを頂きました。結成以来、常に第一党として議長を務めきた新宿自民党でしたが今回の区議会議員選挙の結果を厳粛に受け止めて次への挑戦をしなくてはならないと思っております。ちなみに議長選挙、副議長選挙の結果は、下記の通りでした。

   議長選挙  ◎山添 巖(公明党) 34票   無効票 4票
   副議長選  ◎桑原公平(自民党) 25票   松ヶ谷匡男(共産党) 9票
            田中憲秀(共産党)  1票   無効票 3票

 即日、各常任委員会の所属や役職、特別委員会の所属や役職を決め26日から各委員会がスタートし、勉強勉強の毎日です。私は、常任委員会は環境建設委員会、特別委員会は地方分権・行政改革特別委員会の所属となりいづれも勉強ということで理事に就任させていただきました。自民党区議団の先輩方の若手を育てるために自分たちの役職は諦めようという姿勢に、新しい自民党への脱皮への意気込みが感じられました。明日で新しい議会の委員会の所管事務説明の日程が終わりますので、明日以降に議会報告を書かせていただきます。


5月6日

 初登庁、午前10時に召集され区長をはじめ区役所の幹部職員と初顔合わせがありました。定数減の中厳しい結果に見舞われた「新しい自民党」の船出はなかなか大変そうです。当選した全議員と区長との記念撮影の後、新人議員対象の議会の説明を受け会議に出席し帰ってまいりました。議会の中で常に第一党だった自民党が、第三党になってしまったのですが、これも契機と思ってより地域に密着した区議会活動を推し進めていくことが出来ればと思っております。持ち場持ち場でしっかりとなすべき仕事をしていくことが区議会議員として、政治家として求められているのではないかと思っております。
 ちなみに区議会議員としての初仕事は、地元で他人の家に毎晩猫の餌(ささみ肉やキャットフード)を撒いていく人がいるとのことでその対策をお願いに行ってまいりました。今後、調査のうえ、どのような解決方法があるのか検討することになります。
 これからも地域で抱えている問題がございましたらどしどしお申し付けください。一つ一つの仕事が勉強だと思っております。


5月3日

 選挙後初めてのお休みをいただきました。選挙前から約2ヶ月間生れたばかりの子どもと離れ離れの生活をしてまいりましたが、着実に成長していた様子がうかがわれホッとしています。妻の方も選挙の一週間ぐらい前までは、私の実家に子どもに会いに行ったり出来ていましたが、直前から選挙戦最中は離れ離れの生活を余儀なくされてしまいました。母親としての心情の面から考えると可哀想なことを強いてしまったなと反省しております。
 選挙の始末もついていない今日ですが、結婚記念日でもありましたので一日お休みをいただきました。神田川沿いから落合のせせらぎの里へ抜け、お茶を飲んで帰ってまいりました。
都合3時間の散歩でしたが、しばらく抱っこしていないうちに子どもが大きくなったなと実感しました。「親はいなくとも子は育つ」のでしょうか?


4月28日

 多くのみなさまのご支援に支えられ無事に当選をさせていただきました。心から感謝を申し上げます。同志である自民党の仲間が少なくなってしまったことは本当に残念ですが、地域に根ざした活動を通じて「住み続けられる新宿、住み続けたくなる新宿づくり」を進めていけば必ずや仲間を増やせると信じています。話しかけやすい、文句を言いやすいよしけんに今後もみなさまのお知恵を貸してください。

 

3月30日

 今朝はラジオ体操会のお花見がありました。神田川の公園の桜並木はまだまだ五分咲きといったところでしたが、朝日の中でみる桜もまた趣を持ったものでした。地域の方たちとの対話の中で神田川沿いの石畳が凹凸があってお年寄りの散歩や、車椅子の通行に支障をきたしているという話題が出ていたことがありましたが、何とか花見の季節にある程度は改修が間に合ったようです。
 今月は年度末にあたり、消防団の活動もかなり活発でした。各町会のポンプ点検でいろいろな町会の点検作業のお手伝いに参加させていただきました。多くの町会に伺ったなかで感じたことは、自分と同年代の人が少ないということでした。自分自身もきっかけがなければ今のような活動はしていなかっただろうと思うと、若い人たちも地域の中で自分の役割を持てる機会をつくっていくことの大切さと難しさを考えさせられました。

3月22日

 今日は、久しぶりに与謝野馨前代議士と地元をまわりました。苦杯をなめた前回の選挙から長くなってしまっていますがだいぶ元気そうでした。現在の日本の経済規模から考えると特別なことが起こらない限り国民全体に還元される景気回復はないと思っていますが、地道に適切な政策手段を講じていくことは大切だと感じています。
 地位にある人の意地や、無責任な反対意見を排して必要な景気対策をしてくれる政治家の復活を祈るばかりです。
 そういえば、知り合いの酒屋さんが今月一杯で店を閉じるとの話を聞きました。ご本人から聞いたわけではないので誤報であればいいなと思いつつも、不景気や規制緩和のことを考えると商売の厳しさを実感します。価格競争で大規模店も廃業や、事業主が交代したりしています。デフレの冬はまだまだ続くのでしょうか。

3月15日

 自民党都連の定期大会がありました。統一地方選挙に向けて大勢の党員の方が集まって気勢を上げていました。前回の衆議院選挙で東京の自民党は、大敗を喫したため、会場にはおなじみの国会議員の姿もなく四年前(当時は手伝いで会場係でした)とは異なった雰囲気でした。
 夜は、知人のお通夜に出席し、その後青年部の会合がありました。様々な議論が出る中で実りある意見をいただきました。利害に関係なく、よかれと思っての発言しか出ない会なので安心して耳を傾けることが出来ます

3月14日

 新大久保駅の前で街頭演説をしていました。一人、親切な聴衆がいてしゃべり方などにもアドバイスをくれました。たしか、先週もずっと聞いてくれていた人なので感謝しています。

3月9日

 今日は、上級救命救急の講習を受けてきました。大人の人形と子供の人形と乳児の人形で心臓マッサージと人工呼吸の練習をさせてもらいました。のどの異物を出す要領の練習もしましたが、自分の子供のからだつきにとリアルに似ていたので違和感なく作業が出来ました。訓練中は、何とか対応できましたが、とっさの時にも即応できるように復習が必要だと感じました。

3月5日

 地元消防団員と消防署員による地域の防災の巡回に参加しました。一人暮らしのお年寄りの方を中心に啓発用のチラシを配布しながら数時間の巡回が終わりました。一人暮らしの高齢者の方が多いのを実際に目の当たりにし防災対策と高齢者対策を急ぐ必要性を感じました。

3月1日

 今日は、自民党新宿支部の定期大会が開催されました。統一地方選挙に向けて自民党の活動方針案や、決議がなされました。昨年誕生した中山弘子区長さんが来賓として出席してくださり会場に花を添えてくれていました。

 私も昨年は、陰ながらお手伝いをさせていただいていたのですが、区長さんも私の顔を覚えてくれていたようで記念写真をとって下さいました。

2月26日

 近所の人の勧めで花粉症対策の注射を打ってきました。高校二年時より悩まされ続けてきた花粉を今年は街頭で吸い続けていますので、例年以上に苦しみそうな気配がしていました。打てば、一年間の効き目があるという注射なので効いてくれることを切に願っています。効き目が出るまで二、三日かかるとのことで結果が楽しみです。

2月22日

 西新宿中学校で行われた新宿区スポーツ交流会の催しに行ってきました。

 学校開放などを利用して、地域の子供と大人が一緒になってスポーツをするという試みが行われています。淀四小学校でも毎週日曜日と第一、第三土曜日に体育館でスポーツ交流会が行われています。指導者の方ともお話していましたら、将来的には文化活動も同時に開催出来ればという希望をもっている人もいらっしゃるそうで総合的な地域社会教育活動の拠点に発展してくれればと感じました。

2月12日(水)

 10日の日に赤ん坊が退院してきました。最初は、初めての環境におとなしくしていた赤ん坊でしたが、夜中の12時を過ぎると何時間かおきに泣き出し、ミルクを飲ませたり、オムツを代えたり・・・

 赤ん坊を授かり親への感謝の念を新たにしました。

それにしても、少し寝ては起こされ、少し寝ては起こされの繰り返しは、徹夜よりもつらい状態ですね。かわいいし、自分の子供だから我慢出来ますけど世の中のお父さんお母さんに心から尊敬の念を抱かずにはおれない心境です。

2月8日(土)

 昨日は町内の若手の人たちにきてもらってホームページの作成を手伝ってもらいました。正確に言えば、やってもらっていて自分はそこにいただけだったのですが、時間を気にせず利害にとらわれずに話をできる人たちが周りにいてくれてありがたいことだと思っています。

 昨今、政治の世界でホームページを持っていないと時代遅れと揶揄される状況なので詳しい人たちに相談して立ち上げることとなったのですが、始めてみると伝えたいことや、表現したいことがたくさんあることに気が付きました。吉住健一のサイトではまだまだ訪問客も少ないでしょうが、いわゆる常連さんが出来るようなコンテンツを発信していきたいと思います。

1月30日(木)

 私事で恐縮ですが、今夕第一子が誕生しました。周囲の予想に反して女の子でした。予定日より早かったのですが、元気な様子でホッとしました。赤ちゃんがいる家庭ってどんな感じなのでしょうか?楽しみなような、不安のようなとにかくしっかりしなくては!

 一昨年(H13年)新宿区で生まれた子供は、1815人でした。少しでも出生率を高められるよう、育児サービスと育児の環境を整えなくてはならないと決意を新たにした次第です。

1月26日(日)

 今週は、新年会シーズンの最後のピークでした。毎年年頭になると、胃の疲れや寝不足への対策をどうしようかと考えるのですが、終わりが近づくと寂しくなるのは、飲み会が好きだからでしょうか?人間が好きだからでしょうか?

また、今週は地元のマンション建築に関する説明会や、用途地域変更などの説明会なども目白押しで時間のやりくりに苦労した週でした。

 高いもの≠建てたくて高いものを建てられる土地≠買った企業と、住環境を良くしようと区画整理に協力した為に高いものが建てられる土地になってしまった土地≠ノ住んでいる人々のギャップは容易には埋められません。

1月19日(日)

 今日は、久々に四谷の方へと顔を出しました。以前勤めていた与謝野馨事務所の裏手に荒木町という町があり、その中に車力門会という商店会があります。そこの人たちと親しかったもので、商店会の新年会のご案内をいただきました。荒木町は昔の花街で、今も大人の隠れ家として味のある飲食店街を残しているところです。

 四谷の町の人々は、江戸からの町だということに大変誇りを持っていて、今の不景気も何とか吹き飛ばそうといろいろな仕掛けを行っています。そのいくつかの試みの一つに四谷大好き祭り≠ニいうものがありますが、私もボランティアスタッフとして何年かお手伝いさせていただいていました。

 今は、仕事場の都合で疎遠になってしまいましたが忘れ得ぬ仲間のいる町です。

1月13日(月)

昨日は、初詣会でみんなで西新井大師とホテル三ヶ月に行ってきました。気の合う仲間で旅をするのは楽しいもので、いい思い出になりました。今年もいい年になりますように

1月6日(月)

 恒例となった北新宿四丁目青少年部の感謝祭で餅つきがありました。日頃の青少年部活動に協力してくれる町内の人々やある程度犠牲になっている家族への感謝を込めて開催しているとのことで趣旨に共感できるイベントの一つです。
 会場では、子供たちを対象にしたゲーム大会がありましたが、はねつき、凧揚げ以外に分かるゲームがないのに自分の歳を感じさせられてしまいました。

 自分に子供がいれば、もう少し今の子供が好きな遊びにも興味も持て、情報も入ってくるんだろうと思うのですが・・・

 そうは言っても、来月には第一子が誕生するので父親修行をしなくては、まずは、子供の視線を体得しなくては!