12月30日の日記

 今年も残り二日となってしまいました。あっという間の一年間でしたが、振り返ってみればいろいろな出来事がありました。家庭内のこともさることながら、社会の中でも多くの事件や事故が発生し考えなくてはならないことがまだまだたくさんあるなと感じています。
 ここのところ各地域で町会などが中心となって歳末警戒パトロールを行っています。私自身は、お付き合いのある町会に参加させていただきながら一緒に町を回らせていただきました。やはり、町によってパトロールの備品や声の出し方なども違いますし、注意して見なくてはならない事項も変わるのだなと感じました。一番感じたことは、外国人の多い街はまだまだゴミの出し方のルールが守られていないことが多いことでした。日本での生活習慣に馴染んでルールを守っている外国人も多いはずですし、ルールを守らない日本人も多くいるはずですが、ゴミの分別の概念や、ゴミに放火されることについての認識が足りないのではと感じました。
 先週から今週にかけて、街頭で朝の8時から9時までの間区政報告を行いました。先週水曜日に大久保駅、今週月曜日に新大久保駅、火曜日に大東橋のたもとで行わせていただきました。今年自分は何をしていたのか思い出しながら話をさせていただきましたが、結構話題は事欠かなくなってきたような気がします。今日30日と明日31日の二日間は、午後の時間帯を使って街なかでの区政報告を行う予定です。
 次の選挙まであと二年程となってまいりましたが、選挙で勝つためというよりは地域で役に立つために活動していきたいと思っています。今年は特に、最後まで自然災害に見舞われた年でもありますので新宿区で促進している耐震化事業や、家具の転倒防止事業をもっと普及できるように働きかけをしていきたいと考えています。
 先日行われた町会の部長会で耐震化事業についてのお話をしたところ興味を持って具体的な中身を尋ねてきてくれた方もいらっしゃいましたので、機会を捉えてそういった話もしていきたいと考えております。
 末尾となりましたが、皆さまのご健勝をご祈念申し上げまして今年最後の日記を終えさせていただきます。


12月12日の日記

 10日は都市計画審議会が開かれました。議案自体は、すでに可決されていた再開発についての都市計画決定の修正案でしたので質疑の後、全員一致で可決されました。その他、報告事項では落合下水処理場の名前が落合水再生センターになることと新宿区内の高度地区指定の素案の説明でした。
 ここのところ、マンション建設にともなう建築紛争が絶えませんが、絶対的な高さを規制してしまえば紛争をある程度防げるのではというもののようです。ただし、法律上の規制と比べて著しく制限するには権利者のこともありますので、概ね緩やかな基準で全体的な高さの平均化を目指したような案でした。
 地元北新宿4丁目についていえば、最近もめていた物件はクリアしている数値ですので余り変わりはありません。とはいえ、住宅地において少なくとも30メートルまでという規制が出来ることはいい傾向ではないかと思っています。
 審議会終了後は、懇談会として「まちづくり懇談会」の中間報告をうけて自由な発言をする機会を得ました。私は、かねてから町のイメージをネーミングすることについて委員会や本会議の代表質問でも繰り返し持論を言い続けていましたが、今回も一言だけ言わせてもらいました。「今住んでいる人がこれからも住み続けやすくなるようにしてもらいたい。外国人との共生や交流という言葉には誰も反対できないが、共生や交流をするにはお互いがルールを守るということが前提にあるはず。大久保・百人町地区には、スポーツセンターやコズミックセンター、大きな公園や元気館、小泉八雲公園などスポーツや文化的なものも多くある。今、外国人が多いからといってそれだけをイメージしたネーミングは少し考えて欲しい。」
 私は別に外国の人を受け入れられないと言っているのではありません。今の地域経済や状況を考えれば外国人がいない方が不自然だと思います。しかし、ネーミングは一人歩きすることがあるので、お互いに町を作っていく意思の共有や、ルールの設定が前提にあると思っています。


12月9日の日記

 6日で定例会が終了しました。最終日で新たな議案(補正予算・教育委員人事案件)がでてきましたので、午前中から全員協議会が開かれ、午後まで待機し本会議に臨みました。今回は、議員提出議案の中で反対多数で否決する案件がありましたので反対をする党から誰か反対討論(議案などに反対する理由を述べること)をしろということになりました。たまたま、私の所属する環境建設委員会に付託された議案でしたので自民党の理事という立場上、私が行うことになりました。(原稿は、議会活動のコーナーに掲載)
 自民党議員が本会議で反対討論に立つのはここ十年ほどなかったようで、他の党や行政側からも「えっ、本当にやるんですか?」というリアクションが返ってまいりましたが、本当にやってしまいました。
 当時の心境を言うと、正しいことを言っているつもりでも議員同士で出している議案に正面から反対意見を言うというのは余り気持ちがいいものではありません。私の感覚では、税金の使い方として明らかに不適切であると思っているものでも、本人たちはこれはいい案だと思っているものに意見をするのですから後味がいいものではありません。もう少し図々しくなれればいいものです。
 7日は、柏木地区町会連合会の忘年会がありました。柏木地区は西新宿6丁目から8丁目までと、北新宿全体を合わせた地域で13の町会があります。どの町会も昔馴染みの役員さんがお見えになりますが、区議会議員としては新参者ですので隅っこで小さくなっておりました。
 8日も9日も忘年会や、宴会で、明日も会合があります。先月末から始まった忘年会ロードも、ようやく道半ばといったところです。自重(自嘲)しながら毎日を過ごしております。


12月4日の日記

 今週は、先週来の区議会の定例会が開催されています。第4定例会は一年で一番せわしない定例会のような気がします。今回は、代表質問をやらせていただきましたが、終了後自宅にお電話をいただき原稿を見せてほしいという方が何人かいらっしゃいました。
 代表質問の場合、一般質問の時と違って自民党区議団全体としての質問となります。従って、必ずしも一人で書き上げたというものではなく、この点について質問するようにとか、この質問してみてよとか、こんなテーマはどうかとか意見をいただいたうえで自分に与えられた時間と質問項目を調節して文章化していきます。そのうえで、行政側に質問通告をし、区議団の政務調査会の発言内容についてのチェックを経て本番での発表となります。こういった過程を経て発言させていただいていますので実は、代表質問は周りの人の方が大変だなと思っています。
 今回取り上げたテーマは、区政全般に係わる大きなテーマが4つ、地域単位で区に取り組んでもらいたいテーマが2つと大まかに言えば6つのテーマで質問をさせていただきました。年末までには、せめて概要だけでもアップしてみたいと思っています。全文を読むのは、おそらくしんどいと思いますが、3ヶ月ほどすれば区議会のホームページで掲載されます。
 3日の晩は、地元北四町会の部長会が開かれました。区の方から、財政調整制度5つの課題についての資料が町会長に送られてきたとのことで、町会総務の代わりにその説明をするようにとのことでさせていただきました。
 一言で言えば、「東京都は23区に仕事を渡した分の財源を分けてください」というものですが、東京都も財政は厳しいので話し合い自体したくないのだろうと思います。でも、そんなわけにはいきませんので、23区区長会を先頭に新宿区議会も23区議長会とともに訴えていかなくてはなりません。


11月28日の日記

 先週からの我が家の流行り病はようやく終息に向かっています。娘や姉、妻は完治し、週の初めに発病した実母もほぼ回復し、しんがりで発病した私も二日の絶食ののち回復しました。今週の水曜日から公的な議会の会議が始まるもので何とか出番が終わるまでは発病しないでくれと思っていたのですが、代表質問が終わり、同僚議員の一般質問が終わった後、調子が悪くなりました。今年は三の酉まであり、本会議の日(11月26日)にあたっていましたので先輩議員や同僚議員と見物に行ったのですが、お腹が張って飲むものも飲めず、食べるものも食べられずお店の人には失礼してしまいました。
 翌27日は、淀橋第四小学校の音楽祭で、私は前日の26日に子どもたちの演奏を聴かせていただきました。27日は、大人の演奏を中心に聞かせていただきましたが、太鼓の出演(下打ち)は体調不良により休ませて貰い、ビデオ撮影を担当しました。そういえば、先週は柏木小学校の音楽祭もあり、子供たちの演奏を聴かせてもらいました。
 また、夜からは、消防団員の訓練の一環で消防署に一泊しながら実際の消防隊の活動に同行し、消防団として出動した際の判断力を養成する研修があり、2ヶ所の現場に出動しました。プライバシーの問題があるので現場のことは書けませんが、救急隊の出動でも隊員さんには危険が待ち受けているのだなと驚きました。翌28日は、隣町の北新宿3丁目柏親会とのソフトボールの親善試合なので仮眠を取り、備えていました・・・
 明けて28日朝、さあソフトボールに行こうとボールやグラブの支度をして玄関で靴を履いていると実家の近所の方から電話がかかってきました。「吉住さん、実家が燃えていますよっ!早く来て下さい!」すぐさま、妻にソフトボールの道具や団体保険の証書をグランドに届けておいて欲しい旨を告げてジャージのまま大久保へ急行しました。
途中、近所の青年部の人に出会い車で送ってもらえたため早く到着出来ました。現場に着くと実家の店子さんの店で調理中の出火とのことでした。この店では、4月にも空き巣に入られた際に放火をされているため、改装再開店だったのですが、今度は店の準備中に電話がかかってきて出ている間に出火したとのことでした。幸か不幸か母と姉は祖母の法事で三鷹へ行っていましたので煙を吸うなどの健康被害はなかったのですが、とんぼ返りで戻ってきてもらいました。
※今回の火災はダクトの中の油が固まったものに引火し、その周辺の壁に広がり、柱を伝って燃えたようでしばらくたってからまた燃える可能性があるとのことで、地元の消防団(新宿第5分団)の皆さんが交代で見張りをしてくれていました。ご迷惑をかけた近隣の皆さんとお世話になった関係者の皆様にはいくら御礼を言っても足りない思いです。
 ※本会議の質問内容は、後日別のページに掲載させていただきます。



11月21日の日記

今週の我が家は、ウイルス性腸炎(風邪のウイルス?)の猛威にさらされています。娘が何処からともなく貰ってきたこの病気、熱はさほど出ないのですが、激しい嘔吐と下痢が続くもので発病以来いまだに治りません。
対処方法は、とにかく食べさせないことらしく、水分補給のほかは吐き気止めの薬を注入するぐらいしか手がありません。木曜日の発病以来すでに四日目に入りますが、可哀想で我慢できずに恐る恐る食べさせると、数十分後に吐き出してしまうという状況です。そうこう言っているうちに、実家の姉もかかり、我が家の妻も発病しました。残るは実家の母と私の二人だけ、やはり馬鹿は風邪をひかないようです。


11月14日の日記

 高遠から帰ってきてからはいろいろなことがありました。6日は、大久保地域センターで行われた「区長と語ろう新宿トーク」に出席し、第4次実施計画と第2次行財政改革計画に対する区民の意見を聞いてまいりました。以前に、柏木地域センターで企画部長が行った説明会の折には、お祭の直前ということもあって殆ど住民が参加しない中で開かれたもので4、50人集まった今回の新宿トークは大変多くの意見が活発に出されていた印象があります。人それぞれの意見はあると思いますが、発言しない人の立場も考慮しつつ政策を固めていきたいと思っています。
 7日は、柏まつりで地域センター10周年記念行事がありました。午後からは、新宿区スポーツ少年団のイベントがあり、和太鼓クラブの伴奏を務めさせてもらいました。なかなか練習日に身体が空いていなくて最初に習う曲の伴奏しかできませんが、人手が足りないときは使ってもらえます。(でも、途中で間違えています。)8,9は秋田都議のポスターを貼って歩き10日は委員会、11日は衛星放送の番組で地方議員をクローズアップするコーナーがあり、知り合いに誘われて収録をしてきました。
 なんでも保守系のチャンネルとかでかなり濃い放送をしているようですが、興味がある方がいらしたら、「チャンネル桜」というキーワードで検索すればインターネットで見つかりますので参照してください。
 ちなみに私は、マンション住まいなので壁やガラスに穴を空けることができないので衛星放送のアンテナを設置できないので見ることはできません。もし見た人がいたら、感想を教えてください。


11月3日の日記
 第35回区民レクリエーションが開催されました。往年の陸上部員である私も出場しましたが、寄る年波には勝てず(もともと足は遅い)年代別リレーでも不発に終わり、有終の美を飾るお手伝いができませんでした。
 それでも、地元柏木地区は例年にない禁酒体制でのぞみ総合2位という近年にない成果を出すことができました。今年で最後の区民レクになりましたが、また大勢の人が参加したくなるような企画の誕生を期待したいと思います。
 始まるまでは、人集めや準備でてんてこ舞いになるようですが、終わってみれば勝ててよかったとか、来年こそは勝とうとか思いはそれぞれのようです。
 明日からは新宿区の友好提携都市である高遠町への訪問があります。高遠町も伊那市と長谷村と合併をする協議を進めているようでもしかすると今回のような訪問はこれが最後になるのかもしれないと思っております。


10月24日の日記
 昨日は、新潟を中心とした地域で大規模な地震が発生しました。通信網も寸断されているのかまだテレビなどでも詳しい情報が入ってこないのですが、被害が少しでも少なければと祈っています。
 今日は午前中からいろいろありました。8時に集合して淀橋青果市場の市場まつり、10時開始の柏木小学校避難所訓練、10時開会のきたさん祭、17時からは自民党新宿総支部主催の与謝野馨代議士の政務調査会長就任祝賀会と地域ごとに別れての二次会と盛りだくさんでした。
 来週からは、先に書いた東京都との協議も佳境には行ってくるでしょうし、委員会や、式典、地方での行事の参加など慌ただしい毎日になりそうです。


10月19日の日記

 今日は午前中地方分権・行財政改革特別委員会(長い名称)が開かれました。委員会開会前の理事会で20日から出発予定である地方都市視察を決行すべきか延期すべきかという話し合いがありました。私としても、台風23号が東京を直撃しそうな状況を知りつつ北海道へ視察に行くというのも嫌だナァと思っていましたが、理事会でも区内で災害が起こりそうなときに不在でいることは、さすがにまずいだろうということで全会一致で延期が決定となりました。
 問題は、前日のキャンセルということですので交通費や、宿泊代のキャンセル料がいくらかかるかということでしたが、事情が事情ですので最低限に収まるようでホッとしました。
 先週の22号来襲の時には、神田川の水位が大分上がり、後2,3メートルで溢れるのではという所まで来ました。地元北四町会でも過去に床上浸水の被害を出していましたので、町会役員で町会会館を解放し、パトロールと拡声器での広報活動を行ってくれていました。私のほうは、消防団員として詰め所で待機したり、神田川の水位を見にいったりしながら町会会館のほうと連絡をとっていました。
 今回、町会長さんが私が消防団から召集がかかったというお話をしたら、町会役員で町会の方を守るから消防団の方に行っといでといってくださったのは本当に助かりました。


10月15日の日記

 今日は、新宿4丁目の方から相談された件で都立新宿高校の建設現場に行ってまいりました。この地域は、以前から水害多発地域で平成に入ってから区内で起きて記録に残されている水害記録のうち、3割ほどがこの地域も浸水や冠水にさらされてきました。必然的に近隣で新しい建物を作るときはお互いの地盤面の高さなども協議して立てあうことが多いのですが、町会組織や近所付き合いとは無縁な公共物の場合はそういったことはあまり考慮されないようです。今回の場合、盛土をして周囲より高い地盤面を作ってしまったため、町会の人たちとの再協議が行われています。
 すでに、建物自体はほぼ完成していて12月には新宿高校に引渡しをする予定ですし、今さら地盤面を下げることは現実的にできません。残された方法は、学校敷地内に集まった雨水をいかにして近所に流さないかということや、地面の液状化を防ぐかといったことが中心になってくるのではと思います。
 今回の件は、建設計画を説明した平成14年から始まっています。詳細は協議が行われつつある現状では当面省きますが、行政もマジメに住民と向き合って欲しいものだと思っています。


10月4日の日記

今日で決算特別委員会の審議が終了しました。今回審議したものは昨年度(平成15年度)の新宿区予算執行についてで、9日間にわたり時には夜までかかって審議しました。9月の14日の全員協議会、15、16日の本会議、17日から9日間にわたる日程となりました。6日からは常任委員会、特別委員会と会議が続き14日で今定例会は終了します。
決算委員会は初めての経験となりましたが予算委員会とはまた一味違った雰囲気で臨ませていただきました。既に終わってしまったお金の使い方についての審査ですので正しい使われ方であったのか?過不足はなかったのか?今年や来年にはどのように生かされていくのかなどについて議論する場となります。
私のほうから特に言わせて頂いたのは、
「防災用貯水槽の管理運営の仕方」、「百人町3・4丁目再開発」、「知的障害者グループホーム」、「教科書選定の方法」、「特色ある学校づくり」、「学校選択性導入後の状況と今後の対策」、「外国人住民に対する行政サービスの推移」、「再開発地域住民の開発後の住居」、「区役所のエレベーターについて」となりました。
本来は、もっと多くの質問をし、来年度以降の区政運営について意見を申し上げたいと思っていましたが審議時間が足りなくなってきましたのでかなり凝縮して他の議員が触れなかった論点に絞って質疑をしました。ちょっとでも関連するところが出てくると同じテーマの問題を繰り返し、繰り返しするのを少しでも控えてもらえれば他の会派、他の観点からの意見がもっと活発に出されるのではと思いました。(予算と決算の委員会は、大きく分けられた項目ごとに担当の部署の人が来て質問に答える仕組みになっています)
「議会は議論の場、発言に規制がかけられるべきではない」というのはもっともなことだと思いますが、私は「小田原評定」もいかがなものかなと思っております。お金のコストもありますが、時間のコストは行政や議会においてもっともっと考慮されるべきだと私は思います。
今、区長の私的な諮問機関である「まちづくり懇談会」という会議が月に一回の割合で開かれています。話し合われたことについて毎回環境建設委員会に報告を頂いていますがかなり熱心な議論がされているようです。この中で、16年度中に新宿のグランドデザインを策定し、18年度にまちづくり基本条例制定する予定のようですが私としては実際に住んでいる人の意向を汲み取るための取り組みのうえで進めていく仕組み作りをお願いしていこうと思っています。
ちなみに、まちづくり懇談会のメンバーは有識者ということで交通事業者や都市計画の専門家、環境問題の専門家など多様な方が入っているようです。


9月4日の日記

一ヶ月単位の日記でなんとか季節に追いつき通常のスタイルに戻りました。
 夏休みも終わり、ようやく町全体が日常に帰ってきたような気がします。
 2日は、5日に行われる防災自主訓練の準備や打ち合わせの会合があり地元北新宿4丁目の防災部員のみなさんと過ごしました。一通りの作業などが済むと、お茶を飲みながら夏の行事の反省や今後の行事に向けた思いや、取り組みをそれぞれに話をしました。今回は、普段と違っていわゆる青年部世代の人たちだけの集まりでしたので思っていることをそのまま話しやすい環境だったのかなと感じています。
 3日は、母校である都立広尾高校の同窓会の常任委員会があり久々に出席させてもらいました。3年前に区議選出馬を決めた時点で選挙利用と批判されることを避けるため辞任していたのですが、同世代の人の参加がなかなか難しい状況になってきてしまっているのでしばらくの間労働力として参加しようと思っています。今月は毎年恒例の文化祭への参加行事があるようですので展示のお手伝いに行こうと思っています。


8月の活動報告
 毎年8月は、お盆休みや夏休みといったレジャーの雰囲気もありますが原爆の日や終戦の日など一連の式典などもあり独特なものを感じます。
 今回区議会議員として初めて広島の原爆平和式典に派遣され現地に行ってまいりましたが、これまでテレビの映像や新聞の写真や解説で読んでいた感じ方とは比べものにならない衝撃を受けてきました。感じたもの、見てきたものを文章で伝えるのは難しいことですが端的に表すと一瞬にして家族やすべてが消えてしまったり、一生涯にあるいは子孫にわたってまで障害を引きずることになった人たちの胸の内をまざまざと突きつけられたような気がしました。
 同行した先輩、河野達男議員のご案内で広島市内の原爆被害関係の場所を夜の10時過ぎまでかけて見てまわらせてもらいましたがひたすら続く読経の響きが未だに頭から抜けきりません。機会があればまた参加してみたいと思っています。
 お盆が過ぎると今度は地域での盆踊りのシーズンとなってきます。毎年、新宿区立淀橋第四小学校のPTAOBのお手伝いをさせていただいていますが、今年も参加させてもらいました。団体名は、ETFC(Enjoy Tekiya For Children)という名称ですが子ども達に昔ながらの縁日を楽しんでもらって、その収益を淀橋第四小学校に還元することが目的だそうで、6年生の邦楽を聞く会やパトロールなどいろいろな場面で支援を行っている団体です。
 その他、議員活動としてはトラック協会新宿支部から団体として環境問題について新宿区に協力できることがあれば何でも言ってほしいとの声を受け、区長との懇談の場をセットしました。以前もポイ捨て禁止条例制定時には全車両にキャンペーンステッカーを貼り出したり、駅前の清掃活動に参加したりと積極的な団体です。新宿区と民間の活力がマッチした「協働」のいい事例になればいいなと考えております。

 ※私事ながら、8月11日に実父が逝去いたしました。関係者の皆様には御会葬や御弔意を賜りましたり、御手伝いをいただきありがとうございました。心から感謝申し上げます。


7月の活動
 今年は参議院選挙が行われ、私も自由民主党の一員として地方区・比例区とも御手伝いをさせていただきました。東京地方区は、唯一の公認候補でしたので誰にでもその方のことだけ言えば良かったのですが、難しいのは比例区の応援でした。
 前回から個人名か、政党名か、或いは政党名と個人名の併記か三つの中から好きな投票の仕方ができるようになりましたので投票の現場では混乱が生じています。
 比例区のお願いをするには、まずどうやったら個人名を書いてもらえるか、地方区と間違えないようにできるかを考えなくてはなりません。
 今回、私は山谷えり子さんの担当になりましたが比例区でも個人名で投票できるということを説明するのに大分苦労をした気がします。また、比例区を強調しすぎると今度は地方区に比例区の候補者の名前を書いてしまうのではという心配もありお願いをためらわざるを得ない場面もありました。また、自分の後援会や知人の方でも他の方を応援していらっしゃる方もいますので重ならないようにお願いするのも一苦労でした。
 とはいえ、自民党が全国的に伸び悩んだ中で支援した候補が上位で当選出来ましたので結果自体には満足です。(新宿区の自民党比例区では2位と6票差の3位でした)
 長い参議院選挙が終わると、期間中行われていなかった議会の委員会がこれでもかというぐらいに開かれました。一度決定したことは覆せませんので、事前の議題チェックや予習も欠かせません。
 また、町の中での動きとしては隣り町の百人町3丁目に知的障害者生活寮が建設されるという計画が発表されていたため毎週説明会が開かれました。私も、地元選出の議員として出席を求められましたので説明会の模様を見ていますが、住民の皆さんが反対する理由も理解できます。親しい方も間近で生活していますので今後の進展に注視をしていますが、反対しろと言われてももろ手で反対ということはできません。(議会では全会一致で賛成をしていますので、反対しますとか見直しをしますといえる議員はいないはずです)
 出席して、説明会ではっきりと反対を訴えている住民の方も施設の意義自体は理解できるということです。ただ、建設する場所に異議があるということで設置者や、地主である新宿区との意見の差はまだ縮まりそうもありません。今はただ、市谷砂土原町での老人ホーム建設反対運動の再現にならないことを願っています。(高齢者施設は迷惑施設であるとか、働けない人間は高額納税者の近所で生活してはいけないという主張が通ってしまいました)
 今回のケースでは、長年にわたってまちづくりがなかなか進まないという状況や、その当時に決めたことが現状に即しているのかという住民と考え方とのギャップもあるのではと思います。地区計画は地元住民の合意でなされるものですが、当時はどのように話し合われていたのでしょうか?


6月の出来事

 今月は、16年度の第二回区議会定例会が行われました。今回の本会議では一般質問のテーマとして「生活公害への対処について」質問をさせていただきました。論旨としては、生活をしている中で発生している騒音や、悪臭、振動などの公害についてどのように対処し、また原因者の義務や、改善しない場合の罰則や行政側の対応はどのように行うのかを聞いてまいりました。
 このようなケースは東京都の条例に基づいて規制をされていますのですが、おそらく都内でも初めて罰則規定を適用し、6月29日に改善命令を区長名で出すことができました。長引いても諦めずに待って下さった住民の方々に何とか報いることができたことは率直によかったなと感じました。
 ただ、改善命令を出した後、原因者が対応をするという返事をするまでの猶予期間、具体的に改善のための工事を行う期間を考慮するとおよそ一ヶ月に近い日数がかかります。実際に、工事が終了したのは7月21日になりました。住民の方には申し訳ないなあと感じました。
 今回の定例会中に「放置自転車の撤去に関する陳情」も採択にこぎつけました。災害等対策特別委員会が始まるまでは採択に慎重な意見も出ていましたが、直前まで染谷正明区議と各会派の委員に説明をして歩き、実際の現場を視察してもらいほぼ全会一致で採択をしていただきました。
 陳情採択後は、その週のうちに長期間にわたって放置されていた自転車については撤去をしていただき、地元町会とPTAと住民と施設側との公式な協議を行なうことも決まりました。今後の協議を根気よく、実質的な実りのあるものにしていかなくてはならないと思います。
 6月のハイライトは、新井康文先生の「旭日小綬章受章祝賀会」でした。約300人もの方にご出席していただいたので本当に盛大で立派な会になりました。新井先生にはこれからもお元気で活躍していただきたいと思っております。



5月の出来事

5月中は、議会の方は定例会がない代わりに各友好団体の総会が多く開催され来賓として出席をさせていただきました。その他、区立の小中学校等の運動会も多く開催され、出席させていただきました。
また、地域の中では昨年来の懸案となっている騒音問題の行方について関係部署との協議を進めてまいりました。この問題は、6月中に大きな動きが出てまいりますが最終的に具体的に騒音の原因が取り除かれるまでにはさらに一ヶ月の時間を要することになりました。
その他、放置自転車の撤去を求める陳情の署名集めが始まり、部分的にはお手伝いをさせていただきました。この問題については、北新宿四丁目内に所在する特定の施設の周辺に多い時で450台もの自転車が停められている状態が4年ぐらい続いている案件です。このケースの場合、住宅地内での出来事ということで即時の撤去は行えないため長期にわたって地元住民と施設の間で小競り合いに近い状態が続いていました。この件についても6月中に行われた定例会で大きく動き出すこととなりました。
ところで、区政報告を早くしなければということで、「よしけんレポート Vol.4」を作成しました。しかしながら、参議院選挙の日程のこともあって一部の方を除いて配布出来ていません。せめて8月初頭には何とかしたいと思っています。


4月の活動報告

 4月は、新年度ということで各団体の役員会や、小・中学校、幼稚園の入学、入園式が行われていました。私の場合、前年度から引き続きになっている地元案件の対応や、よしけん事務所の引越作業に終われる日々でした。最後は、地元北新宿4丁目の若手の有志のみなさんが手伝ってくださったおかげで約束の期日までに撤収が終わりました。
 月末ぐらいからは、7月の参議院選挙のお手伝いの打ち合わせが入り始めてきました。どのような結果になるか、この時点ではわかりませんでしたが、比例区の獲得議席数は凡そ当たっていました。
 ところで、今月の身近で大きなトピックとしては師匠の新井康文先生が長年の地方自治功労により「旭日小綬章」を受章された事でした。


2、3月の活動

 この時期は、第1回定例会が2月末から3月後半まで開催されていました。会議の主たるなかみと言えば次年度の予算案についてになります。予算特別委員会と決算特別委員会は議員全体の半数づつが交代で選ばれ任期中に概ね予算2回、決算2回の割合で回ってくるそうです。
 私自身としては、今回の予算委員会が初めてのこととなりましたので先輩方に予算書の読み方や質問のしかたについて教わりながら臨ませてもらいました。
 詳しい、質疑の内容は新宿区議会ホームページの会議録に掲載されております。主な質問項目としては、
  ・放置自転車対策について
  ・知的障害者グループホームについて
  ・公園の管理について
  ・計画的な区有施設の耐震化、更新について
  ・高齢者福祉について
  ・商店街振興について他(30項目)でした。

 6月からお配りし始めている「よしけんレポート」最新号にもある程度書かせていただいておりますが、予算書は数字だらけで電話帳のような厚さのある本ですのでそれを読み解いて、区政に関わる質問をしていくというのは結構しんどい作業かもしれません。
 また、議会改革を進める小委員会で議論されている中身で予算・決算特別委員会の時間の使い方についても改善の余地があるのではと思っております。今後改めて、議論されていくことと思いますがじっくり話し合っていきたいと思っております。
 3月は、年度末ということもあって各地の学校幼稚園の卒業式が行われ、ご出席させていただきました。



2月17日の日記

 今日は地方分権・行政改革特別委員会が行われ、正午からは西新宿六丁目西6地区の再開発組合の設立式典が行われました。再開発の対象となる地域は、かつての勤務地でしたので出席なさっている方には見知った方々も多くいらっしゃいました。私としては懐かしい思いもありお話してみたい気もしましたが、午後から「議会改革を進める小委員会」が開催されることになっていましたので祝辞やご挨拶を聞いて失礼させていただきました。
 議会改革を進める小委員会の中では、議会改革について討議し、決まった事柄を地方分権・行政改革特別委員会に報告することになりますが、一つ一つの議題についてかなり熱心な議論がなされています。私自身は深沢利定委員と二人で出席し、自民党の意見を主張してくるのですが、どうしても保守系政党の意見と革新系政党の意見はなかなかかみ合いません。
 他党は、ベテランが揃ってきていますので何も知らない一年議員は過去の経緯を論拠に議論をされますが、事前に自民党の先輩議員方から意見と根拠を聞いたうえで出席していますのである程度は反論もし、こちらの意見を聞いていただくこともあります。
 私としてはこの委員会で議論されていることは確かに目新しく、出来ないことではないことも多いと感じているのですが、議会で一度決めたことはなかなか元に戻すことは出来ません。それだけに慎重に返事をしなくてはならないと感じています。
 今日の議論で非常に迷った点は、議会で審議する陳情や請願を区議会ホームページのメールで受け付けるべきか否かという問題でした。私は区政に対する注文やご意見でしたら現状でもメールで受付していますので、陳情や請願はその案件の性質上、郵送か持参が望ましいのではと思っています。
 パソコンは、あくまでも機械ですので故障することもあります。一端受け付けたあとに機会がパンクした時に、陳情の受付期限を過ぎてしまったら一体誰がどのような責任を取ればいいのでしょうか?また、「気軽に陳情出せたり、手軽に請願を出せたらいいじゃないか」という意見もありますが、そんなに簡単な問題なのかなと思うこともあります。次回の委員会に自民党の意見を調整して臨まなくてはならないのですが、それまでに実際にインターネットで仕事をしているような方々にも意見を聞いてみたいと思っております。


2月4日〜5日の日記

 常任委員会地方都市視察(広島県福山市、愛媛県松山市)に行ってまいりました。
 視察レポートは活動記録よりお入りください。


2月3日の日記

 今日は、節分の日です。昨年は娘はまだ生まれたてで新生児室にいましたので節分を体験させてあげられなかったのですが今年は見に来るとのことでしたので空模様を気にしながら過ごしていました。
 午前中は都市計画審議会が開催され議会選出の委員として出席いたしました。議題の争点は、東京都の策定した都市計画マスタープランの中の総論部分と新宿区に関わる部分について審議しました。
 私は、四件に分けられた議案すべてに賛成を投じましたが自分なりの意見を陳述させていただき、会長さんもその意見を汲んで付帯意見として報告をしてくださると言うことでした。
 参考までに述べさせていただいた意見な概要を書き出しますと下記のようになります。
「四件の議案となっていますが、1件目の都市計画マスタープランという総論はあくまでも大雑把に東京全体の将来像のイメージを描いたもので、後の3件の議案は(都市再生、住宅市街地の再開発、防災強化の方針)マスタープランの中でテーマ別に新宿に関わりある方針を描いたものと理解していますがそれで正しいでしょうか?
 また、その方針は、大きな枠組の中ではいいんですが、新宿区の中で、たとえば別表の中で大久保百人町であるとか、北新宿であるとか具体的な地域も指定されていますが、地元の現状や実態に基づいて新宿区として主体性を持った判断が担保されていますか?
 新宿区の中でもすでに再開発が行われていますが、私の見聞きしてきたところで住んでいた人が戻れなくなるケースがよくありますがそれでいいのか疑問があります。マスタープランの中で都民に豊かな生活をと謳っていますが、今住んでいる住民にとって住み続けられるための再開発なのか、誰が来るか分からないけど将来の都民にとって住みやすくするための再開発なのか、私としては今いる新宿区民のための再開発、再編であってもらいたいと思います。そのことは東京都に伝えていただきたいと思います。」

 少々長い記述ですが、ほぼ原文そのままです。2時間の審議予定でしたが、積み上げると20cmにも及ぶのではという分量の資料でしたので概要説明だけでも1時間半かかってしまいました。他の議案もございましたので時間は足りなくなってしまいましたが、時間を延長して審議を終了しました。
 昼ご飯をかき込み節分祭へと急行しました。天気は徐々に悪くなり、式開始の3時には雨がぽつりぽつりと降ってきてしまいました。娘もしばらく境内で待機していたようですが雨の降りが強まってきたので鬼が出てくる前に帰ってしまったようです。
 夕方からもう一つの節分祭に参加した後家に帰ると娘がまだ起きていましたので鬼のお面をつけて豆撒きをすることにしました。
 「うぇ〜ん、うぇ〜ん」熱が入りすぎて娘を泣かせてしまいました。その後30分ぐらい娘は起きていましたが二度と目を合わせてもらえませんでした。


2月1日の日記

 秘書時代から1月といえば新年会、2月になっても新年会という日々が続いていましたが、一年生議員にしていただいた今年はより密度の濃い新年会巡りをさせていただいています。たいていの方は2月の新年会というと変だなと感じるそうですが地域によっては旧正月の時期に行うことによって近隣の新年会とずらして出席しやすいようにしているところもあるようです。
 当然、宴席自体は酒席となりますので深夜に赤ら顔で歩いている所を目撃されてひやかされたり、心配されたりすることもしばしばでした。体質的に飲めなければ飲まずにすむのですが元来の意思の弱さと気の弱さで勧められるままにいただいている次第です。
 本日は、朝から消防団の方で召集がかかり鎧神社で奉仕活動を行っていました。本殿の裏手の方に祠のようなものが2基まつられていて、そこに小さめの鳥居や狛犬がありそれらを昭和36年に第四分団で寄進したとのことでその修繕を第四分団でしていりるそうです。
 鳥居と街灯と手摺のペンキ塗りと一昨年の台風で倒れた樹木の根っこの除去作業を行いました。ペンキは塗り始めたら一気に終わらせなくてはなりませんし、根っこの除去も始めたら途中で止めるわけにもいかず半日仕事となりました。久しぶりにいい汗をかかせていただきました。
 帰宅後、留守中にマンション建築の件で近所の方々が見えたとのことを聞きましたが、すでに現場は誰もいなくなってしまっていたので月曜日には、役所で今後のことを検討していきたいと思います。


1月25日の日記

しばらく日記を休んでしまいましたが、再びスタートします。
昨日今日は今月最後の週末ということもあり、いろいろな会合が行われていました。私が参加出来たものは3件でしたが、せっかくのお誘いいただいたのに欠席させていただいた会のみなさまには慎んでお詫び申し上げます。
原則的には、出席のお約束をした順に優先順位を付けて出欠や遅刻していく順番をきめています。
25日の場合は、昨年11月くらいにお約束していた日本児童教育研究所主催の「家庭教育講演会」という会合が最優先となりました。この団体は、名前は日本と付いていますが実際はまだまだこれから作り上げていく途上にあります。私も知人の紹介で会員になっていた関係で行事当日の運営スタッフとして朝から会場に行っておりました。
私は時節柄当日以外は手伝えないということになっていましたので何も知らずに現地に向かったのですが、開催前日に事務的なことを統括していた事務局長さんが入院してしまい急遽事務局長さんの伝言をもとに運営し行うということになっていました。ただ、昨年のうちから何度も何度も打合せ会が行われていたそうで、スタッフの作業に関する情報も行き渡っていましたし、各々が気付いたことに即応して無事に講演会が終了しました。
初めて伺った私は、殆んどの人と面識も何もなかったもので誰かが到着するたびに自己紹介をしなくてはならなかったのですが、いらっしゃった方々みなさんがそれぞれ違った経緯でこの会に入会しているのだということが分ってきました。私以外にも初めて知り合った方同士もいたようです。
この会(日本児童教育研究所)は、NPO法人として申請中で通称「じゃんけんぽん」という集まりなのですが、活動の主旨としては児童の教育を地域レベルで家庭でしやすいようにお手伝いをしていこうと言うものです。また、その道具として「百人一首」など日本の伝統文化を用いていこうという同行の方の集まりでもあります。昨年の第4回定例会での私の一般質問の主旨を同じくしていることもあり、しばらくお手伝いをさせていただこうと思っております。


1月15日の日記

11日に恒例の初詣会を開催しました。今年も多くの方がご参加をしてくださりました。イベントを企画すると事故と天気の心配が終了するまで頭から離れませんが、何とか無事に終えることが出来てほっとしました。ただし、まだまだお礼状などしなくてはならないことが残っておりますので気を緩めることは出来ません。
12日に新宿区の「はたちの集い」が開催されました。新しい形式の成人式には初めて出席させていただきましたが、会場に入れなくてうろうろしているうちに式典自体は終了していました。テレビで放送されているような混乱はなかったのですが、竹みつの日本刀を持ち込み壇上で記念撮影をしているヤンチャな新成人もいました。
「大勢人が集まっているとやりたくなってしまうのかなぁ」と不思議な気持ちで眺めていましたが、自分の子どもにはやらせたくないなというのが実感でした。皆さんはどう思われるでしょうか?
議会の方も14日から正式にスタートしました。次回は20日の特別委員会となりますが、雰囲気に流されることなくじっくりとした議論をしていきたいと思っています。また、常任委員会の方では、与党の仲間の方から超党派で独自の勉強会をとのお話もいただきまして、快諾させていただきました。善悪の判断も必要な案件については前後関係を調べるために正式な会議以外の機会も欲しいと思っています。


1月5日の日記

 明けましておめでとうございます。本年も初心を忘れることなく区政に取り組ませていただきます。変わらぬご指導とご協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。
 今年は、元旦に自宅近くの鎧神社に参拝し、その足で百人町の皆中稲荷神社へも参拝しました。例年ですと3日の日には靖国神社へ参拝するのが恒例になっておりましたが、今年は子どもも出来ましたのであまり自分のしたいことだけしているというわけにもいかなくなり、後日時間をつくってお参りしようと思っております。
 今日は、休み明けの月曜日にあたり区役所も仕事始めとなりました。私自身も公的な活動は今日からということで大東橋での区政報告を一時間ほど行わせていただきました。最近お話していることの主な中身は、昨年の選挙でお訴えした公約の進捗状況を簡単にまとめて報告させていただいているのですが、生来の話し下手ですのでうまくお伝えできているのかは不明です。
 午後からは、北新宿二丁目町会の新年会があり、年始のご挨拶の合間を縫って出席させていただきました。
 明日からは、年越しになっている課題である住宅問題、公害問題への取り組みに本腰を入れなくてはなりません。出来る限りの努力をすることで今後の自分自身の仕事の糧にもなりますので全力を尽くします。