時事ニュースを斬る!

2009/1/29

「キャスターの発言」


 定額給付金について、批判的な世論調査の結果が繰り返し流されています。確かに、地域を回っていて、2兆円のもっと有効な使い方はなかったのかというご意見は圧倒的に多く感じます。また、面と向かって「1万2千円欲しいですか?」と問われれば、「欲しいですっ!」とは答えにくいと感じます。
 今回は、この是非は置いておいて、報道をする際のキャスターとコメンテイターのやり取りについて感じたことを書きたいと思います。

記者「少なくとも、政府は給付金を支給してからでなければ解散はしないようです」

キャスター「1万2千円上げるから支持率が上がるなんてとんでもない!ふざけるなと言いたいっ!そうでしょう、Mさん。Mさんが給付金もらったらうれしくないでしょう」

コメンテイターM「うれしくなんてないわよ!私が払いすぎた税金を返してもらうだけでしょう!ふざけんじゃないわよって感じよ」

 とりあえず、視聴者に受けなくてはという思いは分かりますが、記者のレポートとキャスターの憤りは論理的には対応していません。政府が何かをしようとする意思決定には、確かに支持率向上への期待もあるはずですが、何かをしなくてはならないという命題を背負っています。
 今回の場合は、景気対策と福祉政策という二つの政策意図も持っています。(その政策が理解を得られているか?結果的にどのような影響を出せるか?は別として)記者からのレポートは解散時期について報告しただけであって、給付金政策が何を期待しているかについてはレポートされていません。
 今さらながらニュース番組と報道番組は別物だということが分かってきました。事件や出来事を事実に沿って流すのがニュース番組で事件や出来事を飽きさせないように流すのが報道番組なんだなと改めて気付きました。

 ちなみに、コメンテーターのMさんは有名な作家さんですが、「払いすぎた税金を返してもらうだけ・・・」という発言は、話題を面白くかつ、煽るために発しているのでしょうが、低額所得者の人々がどのような思いで聞くかは考えてはいなかったのだろうと思います。心で思ったとしても、公共の電波で流してしまっていいのか疑問は残ります。同じような発言を政府関係者や政治家がしたら、マスコミは一斉に批判の記事を書くのでしょうが、コメンテイターという立場は煽るぐらいでなくては使い続けてもらえません。ある意味お笑い芸人と同じで過激にならざるを得ない職業です。
 Mさんだけではなく、普通の会社員の人でもごく普通の疑問として、「なぜ課税対象者が払った税金で非課税の人を救わなくてはならないのか?」と問われたこともあります。そう言われると、今回の政策の是非にかかわらず、税を集めることによって富の再分配をしている現代社会の仕組み自体の是非も問わなくてはならなくなってしまいます。現状の仕組みについての検証は、絶えず続けて行かなくてはなりませんが、報道のあり方は問うことはできませんので、報道番組の情報の見方はそれぞれ自分自身に問うていかなくては、(郵政選挙の時のように) 乗せられてしまうかなと怖さを感じます。



2008/5/16

後期高齢者医療(いつまでこのネーミングか不明)について
 批判を受けることの多い制度です。
ただし、仕組みをきちんと聞いた場合に声高におかしいと言い切ることができる人は少ないのではと思います。
とはいえ、実態にあった修正(低所得者の負担軽減)は必要だと思います。

 この制度の眼目自体は、超高齢化社会に対応していく為に利益者負担の考え方を一部導入したものです。
税金から5割、現役世代の健康保険から4割、治療を受ける当事者から1割を負担してくださいというものです。
日本の健康保険と年金は基本的に世代間負担という仕組みで運営されてきていて、現在経済活動を主体的に行っている世代(現役世代)が、今の時代を作るために尽力してくださった先輩達(高齢者)の方々の生活を支えるという仕組みになっています。
いわば、社会的に家庭制度を実行しているということになります。

 マスコミはその家庭制度的な部分についても、噛みつくようなコメントを発する評論家を持ち上げて発言させていますが、この制度は戦後の大変な時代(家庭の大黒柱を戦災で失った後の時代)に、各家庭がどのように安心して生活を送ることができる(皆保険・皆年金)かという観点から作られてきた制度です。

 たしかに、低所得の高齢者世帯では負担が増えた実態も部分的に出てきているので、部分的な制度修正は急いで行わなくてはなりませんが、マスコミの煽動ではなく自分の実生活と子ども(現役世代)の負担を見比べてみて冷静に判断したうえで納得していただける制度にしていかなくてはならないと思います。
現金を負担するということには、多くの方は抵抗感があるのは当然です。
しかし、自分の医療費の大半を税金と元気な人が負担してくれていて、自分は1割の負担で医療を受け続けることができるということは考えてみていただきたいと思います。

 日本の国家予算の25%(20兆)程度は、医療費や生活保護費など社会保障費で毎年消えていきます。
現実社会を支えていく必要経費として、決して削ることの出来ない経費として、これからも支出していきます。
これまで、頑張ってきてくださった親やお祖母ちゃんお祖父ちゃんの世代の方を大切にしていくためにです。
ただし、少子化が進んできたために負担する世代が少なくなってきたので一部を上の世代に自分で負担してくれませんかというのが、今の社会構造の真実です。


2007/06/24

 世の中の厳しい視線の多くは現在「年金問題」という形で向けられています。
私としては、「公務員の意識」として厳しい視線を向けるべきではと考えています。

 私個人の素朴な疑問として、一日5000回以上キーボードにタッチしてはいけないということを社会人たる公務員が主張すること(していたこと)が疑問です。
私が今書いているこの短い文章でも書き直しを含めれば2000から2500タッチはいっていると思います。
確かに、労働者の権利は労働基準法に定められていますが、この労使協定はあまりにも公務員に公の仕事をする意欲がないことを物語っています。
民間の事業者は、顧客の利益を追求する代わりに利益を得て、従業員に還元をしています。
しかし、この協定とそれを擁護する自治労(民主党の有力な支持組織)は、掛け金をかけた国民の利益より自分の労働条件を優先してきました。
そして、社会保険庁の窓口のお粗末な対応もヤリ玉に挙がっていますが、それをやってきたのは社会保険庁の長官でもなければ、厚生大臣(厚生労働大臣)でもなければ、総理大臣でもないのです。
現場の職員なのです。
あくまでも、日本政府全体の枠組みでの責任者としての責任はあり、改革をしてこなかった責任は絶対にありますが、役所という場所の有り様を見ていれば、よくない現場職員の仕事っぷりが日本の行政機関の信頼性を失してきたということがわかると思います。

 年金以外の事例を挙げると、同じ社会保障制度でいえば国民健康保険の現場でも当事者意識のない公務員達の無責任な姿を見ることができます。
国立国際医療センターの会計係が数年前に間違えて過剰に医療費を徴収しました。(初歩的なミスで保険の適用を忘れて患者に全額を負担させていた)
あまりにも高額の支出だったために、病気が治癒して落ち着いてから高額医療費の還付金請求を区の国保年金課にしに行ったところ、そのような入金は記録されていませんとの返答がありました。
そこで、領収書を基に交渉していたところ、国立医療センターが間違えて、一部は保険適用、大部分のところを保険未加入者と入力ミスをして請求し、徴収していたことが判明しました。

 そして、1回電話をするたびに謝罪をされるものの毎回数ヶ月間音信がなくて、問い合わせをすると書類を出して手続中との回答で1年が過ぎました。
そうしたところ、ようやく返金するので役所で手続をしてくださいとの返事がありました。
ところが、役所の窓口では領収書の現物を提出しない限り、誤った医療費を徴収していても還付できないとの事。
しかし、多額の医療費負担だったため確定申告で税務署に提出してしまっているために現物は提出できません。
ミスをして過剰に請求をしてしまった国立国際医療センターは領収書の再発行は制度上あり得ませんとの回答。

 民間ではあり得ない対応ではないでしょうか。
自分で受け取っておきながら、記録を取るのを忘れて、被害を受けている本人が証拠を立証しない限り対応しないといっている今の年金問題と構図がダブって見えます。

 現在、正義の味方の格好をしている民主党は国税庁と社保庁を合併し歳入庁という新しい役所を作ろうとしてしていますが、仕事をしない自治労のサンクチュアリを作って、支持組織の保全をはかろうとしています。
労働条件の確保は必要なことですが、当事者意識や、他人様の支払いによって給料を得て働いているという現実を無視して働かない人たちこそヤリ玉に挙げられるべきではないでしょうか?

社会保険庁の実態(自民党版)